巻タリアンニュース 第28号


西蒲原郡唯一の村を誇りとする
東京弥彦村人会に集う同窓生たち

平成の広域市町村大合併劇も、漸く最終コーナーに差し掛かり、統合した(された)町村数に於いて、全国第1位を記録する新潟県で、人口8650人の西蒲原郡弥彦村は、かつて噂された分水・寺泊など近隣の自治体と合体し、手厚い財政支援特例の誘いになびく事無く、独自路線を貫き通してのフィナーレを迎えようとしている。この「越後・弥彦村」をふるさとに持つ、首都圏在住者の郷人組織「東京弥彦村人会」は同窓生・加藤全宏氏(1954年卒)が取り仕切る快活な村人会である。
加藤全宏・東京弥彦村人会会長
東京弥彦村人会は毎年11月の仏滅・日曜日に総会が催されている。弥彦中学校の同窓会を兼ねた年一回の懇親大会は、今年で24回目を数え参加者たちの熱気は衰える事無く、この先永遠に続く と思われる。昨年会長に就いた加藤全宏氏は、この会の発足当時から運営に携わりふるさとの香りを前面に出した趣向で会を盛り上げ「弥彦村発展のために、村人会全員でバックアップしながらより良い郷土作りに協力して行きましょう」とあいさつ。

交流深い東京弥彦村人会
大谷良孝村長(前列中央)を囲んで宮川玉城氏(前列右=1965年卒)ら同郷の士が揃う。
郷人会に参加する楽しみは、同郷人との懇親である事は 言うまでもないが、加えて、郷里の最新情報を、間近に聞く ふるさと交流会でもある。今年の東京弥彦村人会には、弥彦村商工会 観光協会・JA越後中央役員や、弥彦中学校長、同窓会長が来賓出席。 圧巻は大谷良孝・村長挨拶の中の、弥彦村近未来像のくだりであった。
「我が弥彦村は無意味に合併する必要は全くありません」と胸を張る。 主軸である観光・温泉事業、1000人規模の人口増計画対応宅地開発、 行政機関人員の削減などで、ふるさと弥彦発展への道を具現しながら 長年の村財政を圧迫していた、弥彦競輪事業による収益黒字転換化が 現実のものとなる事を披露した。 弥彦村は、競輪場所有者の(株)やひこドリームに対して、借上権料を 毎年数億円支払っていたが、この度無償譲渡で所有権が弥彦村へ移動し 競輪場使用料支払いの必要が無くなったのである。 所有者への、場外車券売り場権とのバーター手法で実現した経緯も説明。2003年1月、無投票当選で就任し、精力的な活躍が目立つ大谷良孝氏は 同郷の水沢幹子(旧姓)さん(巻高・1976年卒)を伴侶に、益々奮闘する姿が頼もしい。

同期の友情出演
来賓参加した渋木久弥氏は、加藤会長と同期の1954年卒である。得意の演歌を披露し会場の喝采を浴びていた。自らのデザインでホールの音響設備を手がけるだけあって、マイク慣れしたステージは堂々としている。渋木氏は、年2回の巻高・東京同窓会総会や、巻・岩室など他組織の首都圏郷人会に、毎年積極的に参加している。出身地・吉田町の「首都圏えちご吉田会」会長としても活躍している。

頼もしい放送業界の先輩に教わるニッポン放送パーソナリティ
右から村上昭治氏、中央・池田孝一郎氏。(共に昭和29年卒)
会場で一際賑やかな会話に花を咲かせていたのは巻高同窓生で、元TBSアナウンサー・池田孝一郎氏、元NHK放送技術局長の村上昭治氏の両業界先輩と話を弾ます、山本かおるさんのテーブルであった。地元では、新潟テレビ21でアナウンサーをしていた。弥彦小学校出身、三条高校でブラバンに熱中、卒業後新潟大学で声楽科を専攻した越後人。現在はニッポン放送で、毎週土曜早朝の人気番組「塚越孝のおはよう有楽町」でアシスタントとして出演中。彼女は番組放送中、時々それとなく、新潟や弥彦村の話題を取り上げるように、うまくキャスターに振り向ける。何しろ2時間の長時間番組で、塚越アナウンサーも、つい乗せられてしまう。これを聴いた巻タリアン読者が「東京弥彦村人会」について投稿したところ、本番で取り上げてくれたのである。これが縁で今回の参加となったという。父親が10年間弥彦小学校の先生をしていた関係で、恩師の娘さんかと参加者の多くは彼女を懐かしがっていた。

ニッポン放送と弥彦村人会
司会の山本かおるさん
大会も24回目ともなると、様々な宴会企画を工夫するものである。11月20日(日)は、東京国際女子マラソンが開催された。マラソンのスタート時間と開宴時間が重なる。大会幹事はこれに便乗し高橋尚子のマラソンタイム当てコーナーを考えたのである。開宴前に投票用紙を参会者全員に配り、時間・分・秒を記入してもらった。大会で見事にトップとなった高橋尚子の優勝タイムは、2時間24分39秒。最も近かった投票予想タイムは、1秒違いの、2時間24分38秒であった。12月に発売される年末ジャンボ宝くじを、どっさりもらえる権利を獲得。司会には、山本かおるアナウンサーが飛び入りで参加、持ち前の明るい声で会場を盛り上げる。この日は午前中に都内をレポートするラジオ出演があり、番組終了後会場に登場、同じ声を生で聞かせてくれた。幹事のひとり、巻高同窓生、堀優・村人会事務局長は、企画の盛り上がりに大いに満足げであった。

聚楽の歴史は日本の洋食屋の歴史でもある
東京弥彦村人会の幹事たちは、飽くなき「弥彦」にこだわる。
会場となったお茶の水「ホテル聚楽」は、新潟県関係のイベント郷人会などの会場として利用される事が多い。聚楽は、白根市生まれで弥彦村と縁の深い「加藤清二郎」が1924年に創業。関東大震災の翌年、神田・須田町の「洋食屋」として開店。スタッフ8人は全員が越後出身。25の客席数は正にレストラン。当時,西洋料理の代名詞であった「カツレツ・ライスカレー」で予想以上の大盛況。半年後には支店第1号が誕生、以降毎年4〜5店のペースで拡大を続け、やがてリゾート地・熱海で「旅館熱海聚楽」の誕生となった。(聚楽50年のあゆみより抜粋)現社長・加藤 治氏は3代目となる。時折り、ふるさと会に参加し、郷人会員との交流を深めている。水上・万座・飯坂・伊東などのリゾートホテルや国内外にレストラン、居酒屋チェーンなどを展開し、弥彦観光ロープウェーも同社の経営である。

大正11年・卒業記念写真帳
加藤テイさん(1922年当時)
聚楽・加藤 治氏の祖母、即ち創業者夫人・加藤テイ(旧姓・瀬戸=吉田町出身)は、旧制・巻高等女学校を大正11年3月に卒業した。当時は4年制の女学校であったので、テイさんは、2006年に百歳を迎える東京支部同窓会の元気翁、安沢隆雄氏が旧制中学へ入る1年前に、高等女学校へ入学した事になる。今でも「面会大歓迎だ」と、家に迎えてくれる、安沢翁の少年時代と重ねて100年前を想像すると、当時の乙女達を、自分も知っていたような気分になる。巻高等女学校の開学は西蒲原郡立であったが、テイさんが卒業する年に新潟県立となった。卒業同期生31名の内21人が、リン、ミネ、エツ、キミ、カズ、ワカなどのカタカナ表記が続く。写真を見てもかわいらしい。加藤社長は、大正11年度の巻高等女学校「卒業記念写真帳」(卒業アルバム)を「おばあさんの宝物」として大切に保管しておられる。
取材協力・東京弥彦村人会事務局
聚楽/加藤 治氏

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