歴史年表

巻高の創立から現在までを年表と写真で振り返ります。

巻高等学校 歴史年表

西暦 元号 月日 沿革史
1948年 昭和23年 4月1日 学制改革により、新潟県立巻中学校を新潟県立巻高等学校と改称する。
中学校第十五代校長吉田正元初代校長となる。
1949年 昭和24年 3月31日 併設中学校を廃止する。
9月30日 久保田隆円第二代校長となる。
12月24日 生徒会規約を制定する。
1950年 25年 3月31日

新潟県立巻高等学校を廃止する。(巻高等学校と巻女子高等学校の統合により、新高等学校の発足をはかるための処置である)
林政市初代校長となる。

 4月1日 巻高等学校と巻女子高等学校を統合し、新潟県立巻高等学校となる。
普通課程八学級、家庭課程一学級の総合課程の高等学校として新発足する。この年の入学者数三百四十二名である。
旧巻高等学校を北校舎、旧巻女子高等学校を南校舎と呼ぶ。
定時制課程を旧巻女子高等学校より引き継ぐ。
この年の入学者数十三名である。
5月30日 生徒会規約を制定する。
6月22日 新潟県立巻高等学校後援会発足する。
6月24日 開校記念祭を挙行する。式典、演劇、舞踊発表会、音楽会、展覧会、体育大会を行い、盛会であった。
7月14日 記念講演会を開催する。講師長谷川万吉博士。
 8月3日 旧巻女子高等学校同窓会で旧巻高等学校同窓会との一本化を可決する
11月3日 文化祭を開催する。以後年中行事となる。
4月 巻高等学校同窓会創立総会を開催する。
1951年 26年 1月22日 新校歌を制定する。
歌詞は、中学校校歌の一番を一番とし、女学校校歌の二番を二番とし、職員生徒より募集して当選した竹内三一郎教諭のものを三番とし、金子彦二郎氏の補訂によった。
曲は、勝山文吾教諭が、原曲のメロディーをともに生かしながら、合唱曲として編曲した。公式に歌ったのは昭和26年三月の卒業式がはじめてであった。
2月1日 三日まで保健休暇として休校する。昭和33年まで毎年行う。
4月 普通課程一学級増となり、第一学年は十学級編成となる。
名実ともに男女共学制となる。
従来男子は北校舎、女子は南校舎に別れていたが、この年より南北両校舎ともに男女生徒が学ぶようになる。
新潟県立巻高等学校PTA創設する。
1952年 27年 1月20日 北校舎増築教室(新校舎)上棟式を行う。
3月31日 定時制課程を廃止する。
5月7日 新校舎竣工式を挙行し、祝賀会を開催する。新校舎はモルタル塗二階建八教室二百七十一坪。

【共学開始の頃】
1954年 29年 4月 週五日制をやめて週六日制とする。
6月 南校舎実習田は埋立て整地する。校地不足を解消するためで、男子生徒整地作業に参加する。
2月26日 卒業式を繰り上げて行う。
大学の入学試験が三月上旬に集中しているため、この頃より毎年繰り上げて行うようになる。
1955年 30年 1月 校章、バッジを決定する。旧巻高等学校ゆかりの桔梗に「高」を入れたものを校章、バッジとする。図案は丸山静六教諭。
4月1日 阿部藤策第二代校長となる。
7月20日 生徒会規約を改正する。
8月17日 後援会の組織をかえ、社団法人新潟県立巻高等学校後援会と称する。
1956年 31年 5月1日 北校舎図書館開架式となる。
6月 南校舎図書館改造移転する。
10月9日 巻高新聞創立50周年記念特集号発行
10日

創立五十周年記念式典を挙行する。
北校舎に来賓四百余名、生徒代表二百四十名を集めて盛大に挙行し、終わって南校舎で祝賀会を開催する。
この日校旗を樹立する。
記念文化祭を十二日まで開催する。
 
【正門アーチ】       祝賀式

 
【南校舎】           北校舎(グランド拡張)

11日 記念講演を行う。講師長谷川万吉、広瀬孝六郎両教授。
30日 記念体育大会を開催する。
 11月30日 記念事業の一つとして前年十二月に買収した校地三千百七十三坪の埋め立て整地起工式を行う。
その他の記念事業は、記念誌「白楊五十年」発行、「西蒲原郡誌」(斉藤幸太郎教諭執筆)の出版、同窓会名簿の作成等である。
1957年 32年 6月23日 拡張校地の整地終わり、竣工式を行う。
11月16日 第一回全校マラソンを行う。以後年中行事となる。
12月1日 学則を制定する。
1958年 33年 1月17日 大雪のため臨時休校する。
2月25日 巻高新聞第58号
 10月 女子制服を定める。
夏は白の長袖ステンカラーアンダーブラウス、紺リボン、紺色ひだスカートを着用し、冬はその上に紺色スーツを着用する。そのほかに夏と冬の略装がある。
1959年 34年 4月1日

佐藤登第三代校長となる。
後援会で体育館建設資金の積み立てを始める。
引き続いて校舎増築資金の積み立てを行い、昭和四十二年十月現在、なお続けられている。

6月 北校舎の北方二百米煙火工場が新設されたため、学校、PTA、後援会、同窓会、巻町等一致して反対に立ち上がる。このため、よく九月三十日を限り条件付きで移転することに決まる。
1960年 35年 5月 南北両校舎統合の気運急速に高まる。高校生の急増対策で南校舎に高等学校を新設することが具体化し、これに伴い数年来の懸案である校舎統合、校舎の増改築が急速に日程に上り始める。
7月17日 三年生高島賢策A・F・Sの留学生試験に合格し、アメリカに留学する。
8月3日 煙火工場爆発する。夏期休業中で校舎ならびに生徒には被害はなかったが、移転決定的になる。
 11月 蛍雪大橋永久橋となる。
1961年 36年 1月8日 大雪で三学期の授業乱れる。
前年末からの大雪で始業式より授業乱れ、十八日には臨時休校する。一月二十三日ようやく正常となる。
8月 同窓会総会で校舎改築のため二千万円の募金実行委員会を組織する。
昭和四十年三月には目的を達成して実行委員会を解散する。募金総額一千九百二十万円に達する。
9月1日 アメリカ留学を終えた高島賢策三年生に復籍する。
16日 第二室戸台風で校舎大きな被害を受ける。
北校舎男子便所倒壊、柔道場傾斜等被害総額三百七十余万円にのぼる。
12月 体育館建設工事のため整地作業始まる。
九月着工予定であったが、第二室戸台風でおくれ、ようやく着工のはこびとなる。開校以来親しまれてきた校庭のポプラ、プラタナス等切り倒される。
1962年 37年 2月1日 体育館建設工事起工し、地鎮祭を行う。
4月1日 新潟県立巻工業高等学校が南校舎に開校し、本校生徒一部同居する。
普通科一学級減となり、第一学年は九学級編成となる。
14日 「巻高新聞」第百号を発行する。
5月 校舎増改築の具体案を作成し、後援会総会、PTA総会に発表する。
この計画は、体育館建設に続いて校舎を第一期から第五期に分けて全面的に増改築するもので、建築総面積約八千三百平方米,総工費約二億二千万円に及ぶものであった。その後計画はさらに拡大して実施された。
6月24日 米国A・F・S留学生ジョンヒスロップ本校に一ヶ月留学する。
7月 運動部の活躍めざましく、各種県大会に優勝し、あるいは県代表として健闘する。
県大会優勝、あるいは県代表となったのは野球、排球、庭球、ハンドポール、ホッケー、ラグビーの各部である。
 11月11日 体育館建設工事完工し竣工式、体育館開きを行う。総面積二千四百四十九平方米である。
 
【体育館】         【体育館竣工式】
この年西グランドを拡張する。第十九回国民体育大会ホッケー会場となるため、グランド西側を一千七十二坪拡張する。
1963年 38年 1月24日 臨時休校する。
このころ大雪で連日授業乱れ、このため定期考査を延期する。
3月8日 巻工業高等学校(旧南校舎)に同居中の生徒北校舎へ引っ越し、統合となる。
4月1日 石崎種臣第四代校長となる。
4月 普通科二学級増となり、第一学年は十一学級編成となる。
教室不足を解消するため、第一控所、第二控所、柔道場、旧寄宿舎等をすべて臨時教室とする。
5月1日 創立記念日を復活し、記念式を挙行し、記念ロードレースを行うこととする。
明治四十年のこの日、旧巻中学校が授業を開始した。
雨のため翌日記念ロードレースを行う。以後年中行事となる。
 11月26日

校舎増改築第一期工事普通教室棟(十二教室)の建設起工し、地鎮祭を行う。
 
普通教室棟】         【廊下

1964年 39年 6月6日 第十九回国民体育大会新潟県で開催され、本校ホッケー会場となる。
七日より熱戦が繰りひろげられる。
16日 新潟地震おこる。職員、生徒に異状なく、校舎被害なし。
越後線不通となり、大河津以遠の生徒は巻町商店の自転車で、内野方面はバスで、その他は徒歩で帰宅する。
22日 授業ようやく正常となる。
7月13日 第一期工事普通教室棟(一千六百八十五平方米)完工する。
8月1日 教室移動する。
9月26日 校舎増改築第二期工事特別教室棟(理科、芸術家教室)の建設起工し、地鎮祭を行う。
1965年 40年 4月1日 大黒山平第五代校長となる。
普通科一学級増となり、第一学年は十二学級編成となる。
高校生の急増頂点に達し、全校学級数三十四,生徒数一千七百六十六名にのぼる。
6月16日 第二期工事特別教室棟(一千八百五十一平方米)完工する。
8月8日 教室移動を行う。
9月12日 音楽部新潟市公会堂で「レクイエム」演奏会を開催する。
28日 校舎増改築第三期工事特別教室棟(社会科、視聴覚、被服教室、図書館)、建設起工し、地鎮祭を行う。
1966年 41年 4月 普通科一学級減となり、第一学年は十一学級編成となる。
5月28日 第三期工事(一千六百六十六平方米)完工し、六月に移動する。
8月3日 三年生相馬芳明A・F・S留学生となり、アメリカに留学する。
10月29日 文化祭を開催する。
従来の停滞を打破するため、クラブ中心の発表に加えてクラス単位の発表を行う。

【特別教室棟】
 12月2日 校舎増改築第四期工事普通教室棟(十八教室)の建設起工し、地鎮祭を行う。
1967年 42年 4月1日 渡部富義第六代校長となる。
普通科一学級減、被服科一学級増となり、第一学年十一学級編成となる。
7月10日 第四期工事(一千八百六十平方米)完工し、教室移動する。
 25日 第五期工事管理棟(校長室、教務室、事務室、会議室棟)の建設起工し地鎮祭を行う。
28日 体育クラブ部室(鉄筋コンクリート造平屋建六十六平方米)完工する。
30日 全国高等学校総合体育大会ホッケー選手権大会の会場となる。
八月三日まで熱戦が続き、ホッケー部男女とも健闘する。
8月10日 アメリカ留学を終えた相馬芳明三年生に復籍。
旧第二控所の取り毀しをはじめる。旧巻中学校創立当初の建造物はすべて姿を消す。
9月30日 創立六十周年記念体育祭を挙行する。
 

10月12日 創立六十周年、校舎増改築竣工記念式典を挙行する。
式典後祝賀会を開催する。
記念文化祭を十四日まで開催する。
その他の事業は、記念誌発、同窓会名簿作成等である。
 
【祝賀会】         【記念文化祭】
 
【記念文化祭】       【記念文化祭】
13日 記念講演会を開催する。講師は北海道放送代表取締役 室谷邦夷氏。

【室谷氏記念講演】
1968年 43年 3月20日 管理棟(二階建て鉄筋コンクリート)延べ一千百四十四.一八平方米竣工
4月1日 竹内豊治第七代校長となる。
5月 生徒昇降口、及び渡り廊下(鉄筋コンクリート渡廊下二階建て)四百二十六.九十四平方米および管理棟より体育館に通ずる渡り廊下(鉄骨造り)五十一.六四平方米竣工。
6月1日 管理棟竣工により移転完了。
1969年 44年 4月28日 音楽教室竣工(延べ百七十七.四六平方メートル)
9月1日 理科実験室外(延べ坪一千十九.七九平方メートル)取り毀し処分終了。

1970年 45年 3月31 柔道場曳屋工事完了。
4月1日 飯塚正雄第八代校長となる。
8月24日 「白楊会館」建設起工式。鉄筋コンクリート二階建て、延坪二八九.五三平方米。
10月24日 校舎北側土地買収完了。(延坪千七五五.五六平米)
31日 中庭築庭寄付受納、県立巻高等学校同窓会 斉藤順作氏。築庭面積九十九平方米。
12月22日 「白楊会館」竣工式挙行。
1971年 46年 3月31日 格技場増築工事完了。建坪二十八.九十八平米。
物置倉庫新築工事。延坪八十一.00平米。
6月17日 白楊会館併設食堂竣工。延坪百五.三十平米。(三十二坪)
12月25日 グランド西側百七四.九五平方米、価格八百八十二.七百二円を町道拡巾用地として巻町に売却。
1973年 48年 3月31日 小学校裏の職員寮が用途変更により住宅になる。
4月1日 難波光男第九代校長となる。
8月9日 水泳プール竣工。プール四百平方米。石附層室五十五平米。
9月25日 体育館床改修工事。
1975年 50年 1月18日 グランド南側九十六.五十平方米。巻町道用地として巻町に売却。
1月4日 全国サッカー選手権全国大会(於大坂)に出場、一回戦で島原高校に惜敗す。
4月1日 藤田久喜第十代校長となる。
12月2日 臨時休校する。
このころ列車ストで連日乱れる。
3月 昭和五十年度男子スポーツ年間最優秀校を獲得する。
1976年 51年 1月 全国サッカー選手権全国大会(於大坂)に出場、一回戦で広島工業に破れる。
1977年 52年 4月1日 川上慎三第十一代校長となる。
6月12日 創立七十周年記念式典を挙行する。
記念講演会を開催する。講師は筑波大学 阿部斉氏。
記念文化祭を八日、九日に開催する。その他の事業は、記念誌発行、同窓会名簿整備、グランド整備、中庭整備等である。
7月20日 巻高新聞200号
 11月14 創立七十周年記念行事の一環としてグランド整備(グランド暗渠排水)工事完了。
20日 創立七十周年記念事業の一環として中庭の整備工事完了。
1978年 53年 1月24日 第二体育館竣工。
4月22日 第二体育館開き
一、式典
二、講演 故大松博文氏「自分にうちかちて」
三、バレー実技指導を行う。
6月 国鉄ストのため十四日、二十五日、二十六日、午前球技大会、午後放課とする。
6月27日 豪雨のため授業せず九時半に下校とする。
10月 スポーツモデル校に指定される。
1979年 54年 4月25日 国鉄ストのため午前中、球技大会。
5月18日 本校職員内藤晴雄先生死去。
5月31日 本校職員山本達也先生死去。
7月23日 最後のキャンプを間瀬で行う。
8月11日 第一回巻高音楽祭の夕べ開催される。
10月 国体で陸上競技(男子ハンマー投)入賞。
1980年 55年 1月17日 豪雪のため休業とする。
2月4日 臨時休校。(作業停電のため)
3月9日 最後の学校スキーを行う。
5月11日 カリキュラム委員会発足。
26日 学校キャンプ・スキー中止と決定。
6月19日 五・六限、文化講演会を行う。「美しい日本語について」ー講師・作家澤野久雄。
6月26日 スポーツ講演会を行う。講師ー新潟市トレーニングセンター所長・大西先生。
6月 北信越大会で陸上(ハンマー投)山上達也優勝。体操男子団体三位入賞。
この年の修学旅行、帰路、新幹線架線切断事故のため、A隊は米原、B隊は京都に約五時間足止めとなる。
1981年 56年 2月 スポーツモデル校結果報告。
3月 合宿心得作成、白楊会館に掲示、徹底をはかる。
9月9日 第一回全校生徒集会行う。テーマは「なぜ大学に行くのか」(パネルデスカッション)
10月 今年より修学旅行、四泊五日となる。(従来は五泊六日)
この年、男子バレー部、女子ホッケー部、書道部、合唱部活躍。
1982年 57年 4月1日 佐々木衆一第十二代校長となる。
四月から新教育課程実施。
6月 北信越大会でラグビー部、Bブロック優勝。柔道団体三位入賞。(この年陸上競技部、体操部、男子ホッケー部、合唱部、吹奏楽部、活躍)
7月29日 大学進学講習会開校される。参加者九十名。
9月13日 信濃川増水のため越後線不通。地蔵堂以遠の生徒、バスをチャーターして返す。
九月から昭和五十八年六月まで二年生苅部美奈この年、昭和五十七年度男子スポーツ年間優秀校章を獲得。子Y・F・U留学生としてイリノイ州に学ぶ。
この年、生徒会誌「桔梗」創刊される。
1983年 58年 2月12日 豪雪のため授業一限で打ち切り。
2月 就学旅行検討委員会答申。(旅行は従前通り実施)
6月23日 マレーシア・シンガポール教育視察団来校。
9月27日 学力検討委員会設置決定。
1984年 59年 2月7日 豪雪のため授業乱れる。
5月1日 日程表変更。(越後線の電化に伴い、冬時間、夏時間の区別をなくし通年のものとする。)
6月 学力検討委員会発足。(十一月、答申)
10月 修学旅行、はじめて広島まで足を伸ばし、平和教育を取り入れる。
11月 普通科三年三学期の授業時間特別措置認められる。この年バレーボール(男子)全国大会出場。男子バトミントン部活躍。
1985年 60年 3月 この年、バレーポール部男子全国選抜大会に出場し、ベスト十六にはいる。
4月1日 後藤洪之第中三代校長となる。
4月 文部省高校教育課程研究指定校(家庭科)となる。
5月1日 第二十三回全校ロードレース、男子コースを変更して実施。
6月 北信越大会、バレーボール三位入賞。この年、野球部活躍。
1986年 61年 5月 講演「教育相談」、講師堀内聡(宇都宮大助教授)
6月 北信越大会、陸上部、本多桂子(400M)優勝、山本大介400M・H)二位、松島誉弥(400M・H)三位入賞。
8月1日 創立八十周年第一回準備委員会開催。
8月 インターハイで本田桂子四〇〇M優勝。
八月五日から昭和六十二年七月まで三年生玉木香代子Y・F・U留学生としてアメリカ・インディアナ州チェアバスコ・ハイ・スクールで学ぶ。
10月 アジア大会、四×四〇〇Mリレーで本田桂子銀メダル獲得。
10月 高文連発足、加盟。
この年、男子バレーボール部二年連続全国選抜大会出場、ラグビー部活躍。
1987年 62年 3月 文部省高校教育課程研究成果報告。
4月 普通科一学級増となり、第一学年は十学級編成となる。
4月21日 創立八十周年実行委員会開催。
5月1日 創立八十周年ロードレース大会実施。
5月20日 タイ教育使節団二十名来校。
6月13日 創立八十周年記念白楊祭(体育祭)実施。
8月29日 創立八十周年実行委員会開催。
9月25日 創立八十周年記念式典を挙行する。
記念講演会を開催する。講師は新潟大学教授・文学博士大橋勝男氏。演題は「ことばと人の成長」式典後記念祝賀会を開催する。
記念文化祭は二十七日まで開催する。
創立記念「巻高新聞」第二百四十五号を発行する。
その他の事業は、記念誌発、同窓会名簿作成、格技場(県事業)、部室新築、グランド整備、記念物品の整理等である。
11月21日 第67回全国高等学校ラグビーフットボール大会県予選優勝。12月28日~1月7日までの隔日六日間、東大阪市「花園ラグビー場」でおこなわれる全国大会に出場。
1988年 63年 男子バレーボール部、インターハイ出場

1989年 平成元年 3月 男子バレーボール部、全国選抜大会ベスト8
8月 陸上部高杉亜希子、日中青少年体育友好交流大会(上海)女子やり投げ3位
12月 ラグビー部、全国大会出場
1990年 2年 1月13日 この年から大学入試センター試験開始
4月1日 松崎清、第14代校長就任
10月2日 修学旅行、初めて北海道へ(~6日)
11月15日 大体育館改修工事完了
1991年 3年 8月 男子バレーボール部、インターハイ出場
9月30日 普通教室棟改修工事完了
1992年 4年 4月1日 海藤是夫、第15代校長就任
9月 9月以降、第2土曜日が休業日、それに伴い他の土曜日は60分授業
12月 ラグビー部、全国大会出場
1993年 5年

930

特別教室棟改修工事完了
1994年 6年 4月 この年の1年生から新教育課程実施
1995年 7年 3月31日 音楽室改修工事完了
4月1日 入田年夫、第16代校長就任
被服科募集停止。普通科1学級増。第1学年10学級編成
この年から第2・4土曜日休業日。それに伴い水曜日7限授業
9月30日 管理棟改修工事完了
10月 修学旅行、初めて九州へ
12月 ラグビー部、全国大会出場
1996年 8年 3月 女子ソフトテニス部、全国選抜大会団体出場
8月 女子ソフトテニス部、インターハイ団体出場。陸上部、早福弥美インターハイ400M3位
9月30日 グラウンド改修工事完了

1013

修学旅行、初めて沖縄へ(3泊4日に短縮)
12月 ラグビー部、全国大会出場
1997年 9年 1月25日 被服科閉科式典挙行。最後の被服科生徒による卒業制作発表会開催
記念碑建立(碑文「まこと みさを つとめ なさけ」)
2月3日 高校推薦入試。本校はこの年から実施
3月31日 被服科閉科
4月1日 瀬下英汎、第17代校長就任
7月26日 トレーニングルーム竣工
10月4日 創立90周年記念式典挙行。
記念講演会開催。東海大学教授宇佐美彰朗(高第14回)「私を育んだ西蒲の土壌」
10月19日 修学旅行、西九州へ(4泊5日にもどる)
1998年 10年 9月24日 台風7号により中庭の大欅倒れる
10月18日 修学旅行、沖縄へ(3泊4日に短縮)
1999年 11年 10月14日 修学旅行、西九州へ(4泊5日にもどる)
2000年 12年 4月 1学級減。第1学年9学級編成
10月22日 修学旅行、九州へ(3泊4日に短縮、以後3泊4日定着)
2001年 13年 4月1日 桐山元、第18代校長就任
8月 男子バレーボール部、インターハイ出場
10月 2年生、沖縄修学旅行中止(9.11米国同時多発テロの影響)。旅行先を関西方面に変更し12月に実施
2002年 14年 3月 男子バレーボール部、全国選抜大会出場
4月 学校完全週5日制となり55分授業実施
2003年 15年 3月 男子バレーボール部、2年連続全国選抜大会出場
3月31日 小体育館改修工事完了
4月1日 長谷川周壽、第19代校長就任
5月1日 この年の創立記念日から授業日とし5・6限記念講演会開催。
医学博士佐野孝(旧中第35回)「巻高校の歴史と精神」
2004年 16年

1023

中越地震発生
2005年 17年 4月1日 田村仁、第20代校長就任
2006年 18年 1月 百周年記念事業として体育館舞台幕調製
4月 1学級減。第1学年8学級編成
5月1日 百周年記念和太鼓演奏会開催
6月8日 記念体育祭開催
8月19日 文芸部、俳句甲子園全国大会初出場。永井円、個人優秀賞受賞
9月22日 記念校門竣工式挙行
9月23日 記念文化祭開催
9月26日 記念ロードレース大会開催。ゲストランナー谷川真理
10月4日 記念書道・美術展開催(~7日)
10月7日 創立百周年記念式典挙行
記念講演会開催。田部井淳子「世界の山々をめざして」
2007年 19年 3月 女子ソフトテニス部全国選抜大会ベスト8。女子ハンドボール部全国選抜大会出場
4月1日 齋藤清、第21代校長就任
7月16日 中越沖地震発生
平成19年度県高校女子スポーツ最優秀校
2008年 20年 3月 女子ソフトテニス部全国選抜大会3位。 男子バレーボール部、全国選抜大会出場
2009年 21年 9月26日 トキめき新潟国体開催(~10月6日)期間中特編授業
新潟県選手団として少年女子ホッケー(準優勝)、少年女子ソフトテニス(3位)、少年男子ラグビー(5位)、少年男子バレーボール、少年男子陸上(ハンマー投げ)、少年男子ホッケー、少年女子ハンドボール、少年男子ソフトテニスに巻高生が出場。また競技役員と補助員として多くの生徒と職員が参加。
10月8日 台風18号によりJR全面運休、臨時休業となる
11月2日 新型インフルエンザ流行、1年生の3クラスが学級閉鎖となる(~6日)
2010年 22年 1月17日 校舎改築工事安全祈願祭挙行
2月5日 26年ぶりの豪雪のため休校
3月17日 「巻高新聞」第300号発行
4月1日 大上喜彦、第22代校長就任
6月10日 改築工事のためグラウンド使用できず、城山運動公園で体育祭実施
2011年 23年 3月11日 東日本大震災発生
6月30日 新校舎竣工
7月22日 新校舎へ引っ越し
8月 男子ソフトテニス部、インターハイ団体初出場
2012年 24年 1月19日 インフルエンザが流行、1年生の1クラスが学級閉鎖となる(~20日)
4月1日 県立高校初の「進学重視型」単位制へ改組
8月27日 新グラウンド竣工
9月15日 新校舎竣工記念式典挙行。記念講演会開催。山下勝三(高第15回)「人生を振り返って後輩に伝えたいこと」
2013年 25年 6月6日 グラウンドで体育祭再開
8月5日 シンガーポール・マレーシア海外語学研修(~10日)。以後毎年実施
11月25日 初のプロ野球選手となる相沢晋(高第58回)東北楽天イーグルス入団報告の挨拶
2014年 26年 4月1日 本田雄二、第23代校長就任
6月3日 新潟市と姉妹都市のガルベストン市(アメリカ)より訪問団来校
8月 男子バレーボール部、インターハイ出場
9月26日 第50回記念ロードレース大会開催。記念講演会開催。宇佐美彰朗(高第14回)「マラソンに取り組んで得たもの」
11月20日 野球部センバツ21世紀枠新潟県候補校に推薦される
2015年 27年 2月12日 本年より入試制度が大幅に変更される。 特色化選抜実施
3月9日 一般選抜 学力検査
3月10日 一般選抜 学校独自検査
4月 2期制へ移行
6月11日 体育祭で8軍制復活
2016年 27年 10月22 創立百十周年記念式典挙行。

巻中学校・巻女子高等学校 歴史年表

巻中学校 歴史年表

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