巻タリアンニュース 第13号
活躍するOB 1958年(昭和33年)卒
「ビジネスマン 私服のヨーロッパ」著者 真田雅行さん
「海外勤務」この言葉に憧れる者と、できる事なら避けたいと敬遠する者の割合は五分五分で、その人の状況により価値観は一様でない。
短期の観光旅行と異なり現地で生活する事であり、当然ながら滞在が長く文化・風土の違い、国情・治安や子供の教育など様々な問題が生じてくる。
赴任地の学校に子供を入学させようと入学説明会に行った両親が、校内でタトゥが許可されていた事にショックを受けたオーストリア駐在員や 学校では禁煙だが国で喫煙の年齢制限を設けていない為、一歩校外では自由喫煙の風習に戸惑うクロアチア駐在員など多くの海外勤務者は居住地を決めた後に想像もしなかった事が現実として立ち向かう。

「ビジネスマン 私服のヨーロッパ」文芸社版(2002年1月初版)

真田雅行さん(赤塚出身)は、外国為替専門銀行に勤務し国際金融関係の仕事に従事。1974年2月、オランダでの海外勤務を振り出しに、1998年迄の24年間、国際ビジネスの最前線で活躍した。
世界史に興味を持つ真田さんは、ビジネスのオフタイムを利用し欧州各国ドライブ旅行を続け、古代・中世の時代背景を検証し”ガイドブックに載らないヨーロッパはこんなに奥深かった”とキャッチコピーを完成させた。
サブタイトルは「地球3周つれづれドライブの旅」である。32歳の赴任当時は、まだ車の免許を取得していなかった著者が、欧州勤務の第一歩 アムステルダムでの免許取得から物語りが始まる。
オランダでは、一度運転免許試験に失敗すると、次回テストまでに半年もかかる。
何はともあれ挑戦した。一回目。「信号にも注意し、うまくいった」と自分では確信した。
合格者の名前が呼び出された。残念ながら自分の名前は無い。仕方なく半年間練習・待機だ。
2回目に挑戦。「今度は大丈夫だろう」。だが残念。今回も自分の名前は呼び出されない。
練習車のBMWをただ見つめるばかりだ。
そして3回目に挑戦・見事合挌。練習開始後450日目の歓喜する瞬間であった。
「昨日カーライセンスを、取得しました」と翌朝出社するや、真田さんは現地人ボスに報告。
「それはおめでとう。ところで何回挑戦したのかい?」「実は3回目なんです」
「そりゃ素晴らしい事だ。ここでは10回挑戦したオランダ人なんて、ざらにいるよ」
ボスは流暢な英語で、髪を揺らしながら力強く握手をし、合格を祝福してくれた。

バージンドライブ・ドイツでの洗礼
免許取得後最初のロングドライブは、アムステルダムの自宅からドイツを横断しスイスへの旅であった。 愛車のBMWはハイウェイ道路を1時間足らずでドイツ入りし、快調に高速道路を走行していた。
アクセルを踏み込み、加速した。140から150キロ、快適なドライブである。
”ケルンまでどれ位かなあ”などと思いながら何気なくバックミラーを見て仰天。
何と、ベンツのマークがミラー一杯に映っているではないか。150キロを飛ばしている自分の車にぴったりと、銀色の乗用車が追走している。さっき迄は、遥か後方迄、車は1台もいなかった筈である。
中央車線の自分、その車間1メートルも無いような気がした。あわてて右側車線へハンドルを切る。(イギリスを除くヨーロッパでは、右側レーンが一般走行車線となる)オランダと違いここはアウトバーンである。時速200キロのスピードで飛ばす車は珍しくなかったのだ。
これが本当のドイツでの実地訓練かと、時速無制限走行の恐怖体験をした。

一回平均約3000Kmをホリディドライブで走行
愛車BMWと
子供達(1975年撮影)
大陸でのドライブは、その気になれば何万キロでも踏破できる。
ヨーロッパ各地でのドライブ行脚を振り返り、その走行距離を合算すると自分ながら驚いてしまう。3人の息子達も良く一緒になってついて来た。
1975年7月のバージンドライブでドイツ〜スイス往復3200Km、10月・フランス2300Km、翌年夏のオーストリア・3300Kmなど1回の旅に費すドライブの走行距離がとてつもなく長い。
結局、ヨーロッパ勤務合計8年間での移動距離が12万キロを超え遂には地球を3周した事になった。

真田流ドライブ旅行・歴史探訪の極意
車ほど有り難いものは無い。そしてドライブほど楽しい事は無い。
思い立ったら地図を見る。目標地点へのルートが決まったら、通過ポイントをチェックし知識を整理する。
地名や名前から、自分で思い込んでいた先入観もあるが、検証するのに前知識はどんなに多くてもいい。
リスボン・セゴビア・ブリュッセル・プラハ・ブタペスト、歴史の宝庫を楽しみ、現地を走る喜びを味わう。

ホテルの予約はとらないで大陸を移動する
毎年多くの旅を重ねたにも関わらず、ホテルの予約を入れたのは、イタリアとスペイン旅行の時程度である。予約をしていて困るのは、到着時刻に束縛されるからである。
列車と違い車での移動は、距離が長くなるにつれて、ハプニングも多い。ホテルは、外観を見ての行き当たりばったりだが、うまく見つかった。実は、子供連れで交渉したので、優先的に宿がとれたのではあったが。
スイスでは、アルプスの山道を通り抜け「アイガー」・「ユングフラウ」など4000M級の山々と調和した壮大な牧草地との景観は、ハンドルを握る醍醐味を十分堪能させてくれ、何度訪れても飽きることが無い。

パリ・ローマ市内の名所は、運転の難所
アムスからパリ迄は、途中ベルギー経由でフランス国境に入り約520キロである。
パリジェンヌを含むここでのドライバーに「マナー」の言葉は無きに等しい。
何せ、道路に車のレーンが引いてない所が多い。走行中の自分の車に対して 「前後左右から車が割り込んでくる」と言っても過言でなく、直前の車は前ぶれなくバックをし、左右の車は鋭角に割り込み、駐車する車は隣や前後の車を押し分けながら入ってくる。バンパーは衝撃用に有りと主張するかのように見える。
パリとローマの市内を車で旅行する時は、郊外のホテルに駐車させるのが一番だ。

1枚のベストショット・サハラ砂漠の夜明けに感激
サハラ砂漠の日の出を拝もうと、英国勤務中にモロッコへの旅を組み入れた。
4時起きの眠い眼をこする間もなく、現地人の運転するジープが大砂漠の入り口めがけ荒々しくひた走る。
漸く到着したメルズーガからは徒歩でどれ位行進したであろうか、砂丘と格闘しながらやっと辿り着く。
待つ事数時間。暗闇が青白かかったと思う間もなく、彼方の天が赤色にやがて眩しい後光が砂漠にそそがれた。サハラ砂漠は木も草も無い。波状の砂丘に光と陰が交錯し、大自然の実に幻想的なシーンに圧倒された。
サハラ砂漠の日の出(モロッコ)

海外勤務地 オランダ生活での実感
ドイツ・オランダ・ベルギー3国国境の碑
真田さんにとって最初の海外勤務・赴任国となるオランダは山の無い平坦な国で、最高地は322、5mの国境地点である。
オランダ人は質素・倹約の精神が旺盛で、夏季のバカンスを楽しむ時でも「ホテルに泊まることを極力避けるヨーロッパ人」として知られている。
農業国だが日常の食事には極めて質素である。しかし「住」にかけては金を惜しまない。大抵の家には垣根が無く、リビングのアンティークや家具類をどうぞご覧下さいと言わんばかりにオープンに構えている。
国会議事堂のあるハーグの平和宮。国際司法裁判所が入っている。

首都はアムステルダムだが政治上の中心地はハーグに集中しており経済の中心はロッテルダムに位置し各都市それぞれが分散している。
自分の勤務先である為替専門銀行の本店はアムステルダムにあったがここのオフィスでは10カ国以上の人種と一緒になって働いた。
赴任前に抱いていた、ゲルマン民族一派の国、の先入観は見事打ち破られ「オランダに住みオランダ語を話す人」がオランダ人の定義になり得る。
人種偏見が無く開放的且つ寛容であると実感している。

ーー著書・「ビジネスマン・私服のヨーロッパ」より引用ーー


ペルージャ123人、ニューヨーク48,710人
主要都市における海外長期滞在者数
都市名 3ヶ月以上滞在
ニューヨーク 48710
ロサンゼルス 28942
香港 25421
シンガポール 19660
ロンドン 19165
バンコク 18903
上海 15694
シドニ 12436
パリ 12419
台北 8783
・・ ・・
アムステルダム 3888
ハーグ 690
ペルージャ 123
(統計の数字は、14年度10月現在で
永住者を除く3ヶ月以上の滞在者数)
民間企業と留学生等の滞在者数
 区 分 留学生・教師等 民間企業
北米 79696 128001
西欧 38843 53290
アジア 14238 124952
大洋州 11521 9992
南米 354 2972
中東 155 2649
中米・カリブ 242 2154
(政府関係・報道関係などの滞在者は含まず)
各国の領事部では、旅券法に基づき滞在者を、細かく把握している。
在留邦人としての巻高OBが、どの都市でいかなる活躍しているか、興味あるテーマで、ネットワークできれば新旧の情報を交換できる。
サッカー部OBの伊藤桂一君(2003年度卒)が、ペルージャで大学生活を送っていたり、プラントメーカーをリタイアした同窓生が第2の人生で、オーストラリア・ブリスベンに夫婦で移住など海外滞在者として、有意義に様々な生活をされている。
「私服のヨーロッパ」は、主として欧州諸国の歴史的時代背景を考察しながらのドライブ紀行であり美術・音楽の分野も取り入れた古代・中世史と地理的状況を検証するには最適な一冊となり得る。
しかも、著者が描いた詳細なアトラスが各章にあり、どこからスタートしても楽しく読み入る事ができ長期滞在者ならではの特権をフルに活用し、ネクタイをはずした余暇時間を車と共に楽しんだ様子が良く判る。
企業で永年活躍した国際金融ビジネスマンは、帰国後ドライブの行き先を少し変え、母校の京都大学で史学を学び直したり、現在は歴史や古文書の解読に精を出す毎日で、自ら体得した知的財産を糧にヨーロッパの偉大なる街・路を踏破しつくした後のデザートのように、古の文化を楽しむ同窓生である。

「巻タリアンニュース」は巻高校OB生をつなぐネットワーク新聞です。
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送付先:東京・蒲田郵便局私書箱62号(主宰)橋本寛二
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