巻タリアンニュース 第33号


活躍するOB 1990年(平成2年)卒業
声楽家・指揮者 竹内公一 さん

バッハ・ハイドン・モーツァルトで明け暮れて
オラトリオ滋賀主宰
竹内公一さん
07年はベートーベン没後180年、全国各地で例年以上のメモリアル企画コンサートが催されている。
偉大なる作曲家たちは、節目となる生誕・没年を迎える度に音楽シーンでの登場回数が増し、その頻度は年々数を伸ばしなおかつ強烈に新たな角度で、聴衆に発信されている。
06年のモーツァルト生誕250年は翌年の映画宣伝にもなり10年を待つまでもなく、あと5年もすれば新たな生誕祭が繰り広げられるに違いない。
一昨年のJ.S.バッハ生誕320年は、85年の生誕300年から途切れなく続く延長線上にあり、バロック音楽をより身近なものとし、愛好家の増加に貢献した意義は大いにあった。
今や、団塊世代を中心にクラシック音楽ファンは、重厚なシンフォニーはもとより壮大なオペラやオラトリオに対しても、深い関心を向けコンサートホールに訪れている。
このように繁栄するクラシック音楽の世界において、同窓生で唯一の現役声楽家として精力的に活躍されている竹内公一氏にインタビューした。
巻高在学時代は吹奏楽部でクラリネットの練習に明け暮れ、芸大では声楽を専攻、在学時代にメサイアでソロデビューし、新潟県音楽コンクールで大賞を受賞した人物である。

声楽家・ソリストとしてオペラやオラトリオで活躍する竹内公一氏のレパートリーは幅広く、東京交響楽団との共演や第九のソロでホールを轟かせる。
「声の表情が宗教音楽を歌うために生まれて来た」と自他ともに認める竹内公一氏のステージは、バッハ・ヘンデル・ドボルザーク・ハイドンらのバロック音楽で聴衆を酔わせ静寂から拍手に変える。
ホールに広がるパイプオルガンの荘厳な響きを浴び、洗練された混声合唱団を背後に従えるシーンは感動的なコーラスがソリストを救世主として崇めるかのごとく映ってしまう。
オラトリオは歌唱のみで表現し、オペラと異なり衣装や大道具がなく、聖書・キリスト教に根源を委ねた楽劇であるだけに、聴く側に湧いてくる様々な想像で、高尚な時と余韻を与えてくれる。

聖書やキリスト・エルサレムを墨彩で描く藤井克之氏(73年卒)の墨彩画展が 銀座教会(東京)のギャラリーにおいて開催された(7月17-22日)。藤井氏の絵を竹内公一氏の独唱と重ねると絵画と宗教音楽が見事に融和しながら深遠なオラトリオを堪能できる。
ヘンデルのメサイアをオラトリオ滋賀合唱団の前で歌う竹内公一氏(安土文芸セミナリヨでの公演)

オペラ・オラトリオで活躍する竹内公一氏
オペラ「魔笛」モーツァルト・K620(1791) 
王子・タミールの竹内公一氏

この写真は、竹内氏がタミール王子となって演じた、モーツァルトの「魔笛」の1シーンである。
第一幕で、大蛇に追われ倒れた王子を助ける夜の女王の侍女3人、王子のあまりの美しさに・・・と歌芝居がテンポ良く展開する。モーツァルトが初作品から25年後に作曲したオペラである。
視覚的に飽きることのない娯楽劇でもあるが、時にはこれを叙情的にテノールで歌う要素も要求され、これが竹内公一氏のオペラにおいての力量・音楽的演技力を発揮する真骨頂の場面となる。
同じ歌芝居の世界で活躍している、こんにゃく座の佐藤敏之氏(巻タリアン・第24号掲載)は、演劇界出身としてオペラ芝居の中で独唱するが、可能であれば、声楽家としての竹内公一氏との共演を観てみたい。竹内氏の芸大仲間が、こんにゃく座に何人かいる事であり、ゲスト出演は不可能ではないであろう。
歌芝居の中の両者は、現役のプロとして仕事をしているだけに演技・歌唱では好対照になる筈である。
しかしソリストとして生涯をかけて自分が演じたい役は、宗教音楽・オラトリオの世界だと強調する。

「オペラは華やかで力強く人前で見せるものである」とする声楽家・竹内公一氏の演技に興味を抱くが魔笛の「王子・タミール」のような、聴衆のスポットを浴びて独唱する公演だけを求めてはいない。
自身が主宰する合唱団「オラトリオ滋賀」の公演で、自ら指揮をとりテノールを独唱するステージこそこれまでの音楽活動で求めてきたものであり、自分の人生であるとも語る。
バッハ・ハイドンの作曲したオラトリオを、ソリストとして出演する公演は、今後も多く催される。
これまでにソリストとして公演した竹内氏のオラトリオ一覧を振返っただけでも、ホールの雰囲気が自然に伝わってきそうである。

竹内公一氏が公演したオラトリオ一覧
マタイ受難曲 バッハ 天地創造 ハイドン
ヨハネ受難曲 バッハ 四 季 ハイドン
マニフィカト バッハ ネルソンミサ ハイドン
カンタータ バッハ チェチーリミサ ハイドン
レクレイエム モーツァルト パウケンミサ ハイドン
載冠式ミサ モーツァルト ハーモニミサ ハイドン
スタバト・マーテル ドボルザーク 聖パウロ メンデルスゾーン

ソリストとして出演したオペラ一覧
アイーダ ヴェルディ
魔 笛 モーツアルト
仮面舞踏会 ヴェルディ
ドンカルロス ヴェルディ
コジ・ファン・トッテ モーツァルト
トーランドット プッチーニ
オテロ ヴェルディ
マクベス ヴェルディ
さまよえるオランダ人 ワーグナー

常任指揮者としての竹内公一氏

声楽家として多彩なスケジュールをこなす演奏活動が、竹内公一氏のライフワークであるが、その傍らに吹奏楽団や合唱団、オーケストラの監督指導をしている。
創設30年の早稲田吹奏楽団では、芸大在学時代から小針中学の同期と一緒に演奏した経験があり、これを機として早稲田吹奏楽団と関わり、音楽トレーナーを経て常任指揮者となった。
総勢で180人近く在籍する団員は、早大を中心に日本女子・学習院女子・立教など10校を超す大学の学生たちで構成され、定期演奏会を前に行われる合宿には、竹内氏も参加し指導に励んでいる。
一方郷里の新潟では、新潟市民吹奏楽団において客員指揮者の後、常任指揮者となって指導している。
団員に所属すると市内の芸術文化スタジオで、竹内公一氏の直接指導を受けることができる。

早稲田吹奏楽団による第57回定期演奏会が、2007年6月24日、きゅりあん(品川区)で開催された。
Ⅰ部からⅢ部まで指揮者として登場した竹内氏は、交響詩「スパルタクス」のあとアンコールに応え、清楚・快活な138名の現役学生で編成された、公演当日の演奏者に対しても熱心な個人ファンが多く、受付にはメッセージを添えた、数えきれない程のプレゼント品が積み上げられていた。


音楽・楽器との出会い

音楽に興味を抱き始めたのは小学生の頃であった。
父親の転勤で新潟市小針から燕へ転校した4年生の頃母親に連れられて、何回か市民コンサートを聴きに行くうちに楽器に興味を抱きはじめ、燕中学入学と同時に吹奏楽部に入った。
最初はチューバを担当。独特な低音域を発する楽器を手にし毎日楽しく練習をし乍らも、重い楽器だなあと、常々思っていた。
この1年後、再び父親の転勤で小針中学へ転校する事になる。
これを機会に、重量のあるチューバ以外の楽器をやろうと一大決心。
さっそく吹奏楽部に入り、今度はクラリネットの担当となり何より嬉しかったのは、自分に丁度良い大きさの楽器と出会えた事であった。
小針中学校は、優れた吹奏楽部を有する学校として全国的な評価を有し、個々の力量も高い。
そして今も続く、素晴らしい音楽仲間達との繋がりの原点はここで誕生した。


巻高入学・河本先生との出会い

今は新潟市になってしまった懐かしいい「巻町」だが、当時は西蒲原郡にあった。
友人たちが、都会側にある新潟市内の高校へ進む中、吹奏楽大会出場の多い巻高に進学を決めていた。
「河本先生が指導している巻高の吹奏楽は素晴らしいぞ」と、一足早く巻高吹奏楽部において頑張っていた小針中の先輩も勧めてくれたし、自分の姉も巻高に通っていたのである。
「吹奏楽部に入るため」に巻高の門をくぐる若者は、今も昔も変わらない
竹内公一氏は入学試験に合格した翌日から、先輩達に交じって春の合同練習に参加し入学後の3年間は、365日ブラバンずけになっていた。
当時指導していた河本隆吉先生(昭和50年卒・現・新潟県教育センター指導主事)は竹内氏の印象を、音楽に対する取り組み方が論理的で、その楽しみ方を理解した若者であり「将来の音楽指導・監督者になる要素においても才能溢れる学生」だったと述解する。
吹奏楽部員達の目標は、全国吹奏楽コンクールでの入賞である。
新潟商業・新潟西高校とともに、巻高は県内に於いては上位入賞常連校として名を連ねていた。
「コッペリア」「ロメオとジュリエット」「ODE」と各学年で演奏し、県大会で金または銀、そして3年の関東大会は「銀」。河本先生の情熱を生徒全員で、真剣になって受け入れていた。
こうして長くも短い高校生活は、光陰の如く過ぎ去り卒業の時期を迎えた。


大学進学

大学選びは中学の先輩が在学している、自由な学びを提唱する音楽大学に入って、その先は高校の音楽教師になろうと、新潟市内で声楽科の先生に個人レッスンを受けながら音大受験のための声楽を学んだ。当然ながら恩師・河本先生に相談しての結論である。
これが後の声楽科・竹内公一を誕生させる第一歩でもあった。
「楽器演奏も楽しいが、自分の声で音楽表現するのも結構楽しいものだ」1年間の受験勉強は捗り、やがて国立音学大学(東京都立川市)の声楽科に合格。
早速、1年間のハードレッスンでお世話になった声楽の先生に合格報告をする。
所が、「竹内君、芸大の声楽科も受験したらどうか」と、先生が熱心に勧める。
全く予期してない提案であったが「そうですか」と素直に肯き、受験したら合格してしまった。


大学時代

芸大(東京芸術大学)音楽学部・声楽科に入学、同期と初めて対面し受けた衝撃を鮮明に憶えている。
声楽科の全員が芸大を経てプロで活動できるよう、小さい頃から周囲の期待を一身に背負いながら乗り越え、早期教育を受けて育ってきた学生達であり、音楽に対する情熱が半端ではなかったのである。
同期入学には、現在クラシック音楽界で頂点を極める鈴木慶江(ソプラノ)、宮本益光(バリトン)そして幸田浩子(ソプラノ)など、正に歌うために生誕したような輩がゴロゴロしていた。
これには自分も完全に感化され、音楽の本質に対する真の目覚めでもあった。
2年時では二期会合唱団で歌い、俊英なプロ音楽家たちと出会い、自分もソロデビューとなった。

この一方、巻高卒業後も後輩たちの事が気になってしょうがない。しかも河本先生が異動されたので芸大の夏休みの期間中は、吹奏楽部のOBとして4年間を通して田中賢の作品を積極的に指導した。
「メトセラⅡ」〜打楽器と吹奏楽のために〜、は打楽器群と管楽器が交差する田中賢氏の代表作であり全日本吹奏楽コンクールにおいて、出場校のどこかが必ず演奏する。
巻高も普門館を目指してこの曲で臨んだ1990年、県大会で金、関東大会では銅であったが監督指導者としての竹内公一氏は、この程度の結果には満足してはいなかった。
しかし、OB連中や父兄からの資金協力を得ながら、作曲家を招いて直接指導を受ける恩恵に俗し、これに挑戦し応えた吹奏楽部員。「後輩たちの意欲と情熱は称賛できる」と、いつまでも忘れていない。


竹内公一氏が目指すもの

新潟県の音楽愛好家たちのレベルを高め、音楽で地域の活性化に努めたいと願う竹内公一氏はアルビレックス新潟の発展ぶりを例にとり、かつてスポーツ不毛の地に巨大スタジアムが完成し満杯にさせたように、音楽の世界においてもその裾野を広げようと、プロとして活躍中の仲間を募り、新潟市内でクラシック音楽の演奏活動を怠らない。

竹内公一氏(2007年6月撮影)

滋賀県が音楽活動の普及に対して、県の指導のもとで推進し各地で頻繁に間口の広い演奏活動を支援し成功を収めた如く新潟県においても同様に実現できないかと、協力体制を整え次のステップを考えているようである。
取材当日は、東京オペラシシティ(東京・新宿)においてバッハからコンテンポラリーへの標題で企画リレー公演する京都市交響楽団のトランペッター・菊本和昭氏とのステージを直前に控えていたが、母校の吹奏楽部や音楽活動の夢などを熱く語ってくれた声楽家・竹内公一さんであった。


インタビュー協力:早稲田吹奏楽団

「巻タリアンニュース」は巻高校OB生をつなぐネットワーク新聞です。
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送付先:東京・蒲田郵便局私書箱62号(主宰)橋本寛二
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