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活躍するOB 1990年(平成2年)卒業 声楽家・指揮者 竹内公一 さん |
バッハ・ハイドン・モーツァルトで明け暮れて | ||||||||
偉大なる作曲家たちは、節目となる生誕・没年を迎える度に音楽シーンでの登場回数が増し、その頻度は年々数を伸ばしなおかつ強烈に新たな角度で、聴衆に発信されている。 06年のモーツァルト生誕250年は翌年の映画宣伝にもなり10年を待つまでもなく、あと5年もすれば新たな生誕祭が繰り広げられるに違いない。 一昨年のJ.S.バッハ生誕320年は、85年の生誕300年から途切れなく続く延長線上にあり、バロック音楽をより身近なものとし、愛好家の増加に貢献した意義は大いにあった。 今や、団塊世代を中心にクラシック音楽ファンは、重厚なシンフォニーはもとより壮大なオペラやオラトリオに対しても、深い関心を向けコンサートホールに訪れている。 このように繁栄するクラシック音楽の世界において、同窓生で唯一の現役声楽家として精力的に活躍されている竹内公一氏にインタビューした。 巻高在学時代は吹奏楽部でクラリネットの練習に明け暮れ、芸大では声楽を専攻、在学時代にメサイアでソロデビューし、新潟県音楽コンクールで大賞を受賞した人物である。 声楽家・ソリストとしてオペラやオラトリオで活躍する竹内公一氏のレパートリーは幅広く、東京交響楽団との共演や第九のソロでホールを轟かせる。 「声の表情が宗教音楽を歌うために生まれて来た」と自他ともに認める竹内公一氏のステージは、バッハ・ヘンデル・ドボルザーク・ハイドンらのバロック音楽で聴衆を酔わせ静寂から拍手に変える。 ホールに広がるパイプオルガンの荘厳な響きを浴び、洗練された混声合唱団を背後に従えるシーンは感動的なコーラスがソリストを救世主として崇めるかのごとく映ってしまう。 オラトリオは歌唱のみで表現し、オペラと異なり衣装や大道具がなく、聖書・キリスト教に根源を委ねた楽劇であるだけに、聴く側に湧いてくる様々な想像で、高尚な時と余韻を与えてくれる。
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オペラ・オラトリオで活躍する竹内公一氏 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この写真は、竹内氏がタミール王子となって演じた、モーツァルトの「魔笛」の1シーンである。 「オペラは華やかで力強く人前で見せるものである」とする声楽家・竹内公一氏の演技に興味を抱くが魔笛の「王子・タミール」のような、聴衆のスポットを浴びて独唱する公演だけを求めてはいない。
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常任指揮者としての竹内公一氏 |
声楽家として多彩なスケジュールをこなす演奏活動が、竹内公一氏のライフワークであるが、その傍らに吹奏楽団や合唱団、オーケストラの監督指導をしている。 早稲田吹奏楽団による第57回定期演奏会が、2007年6月24日、きゅりあん(品川区)で開催された。 |
音楽・楽器との出会い | |
音楽に興味を抱き始めたのは小学生の頃であった。 |
巻高入学・河本先生との出会い |
今は新潟市になってしまった懐かしいい「巻町」だが、当時は西蒲原郡にあった。 |
大学進学 |
大学選びは中学の先輩が在学している、自由な学びを提唱する音楽大学に入って、その先は高校の音楽教師になろうと、新潟市内で声楽科の先生に個人レッスンを受けながら音大受験のための声楽を学んだ。当然ながら恩師・河本先生に相談しての結論である。 |
大学時代 |
芸大(東京芸術大学)音楽学部・声楽科に入学、同期と初めて対面し受けた衝撃を鮮明に憶えている。 この一方、巻高卒業後も後輩たちの事が気になってしょうがない。しかも河本先生が異動されたので芸大の夏休みの期間中は、吹奏楽部のOBとして4年間を通して田中賢の作品を積極的に指導した。 |
竹内公一氏が目指すもの | ||
新潟県の音楽愛好家たちのレベルを高め、音楽で地域の活性化に努めたいと願う竹内公一氏はアルビレックス新潟の発展ぶりを例にとり、かつてスポーツ不毛の地に巨大スタジアムが完成し満杯にさせたように、音楽の世界においてもその裾野を広げようと、プロとして活躍中の仲間を募り、新潟市内でクラシック音楽の演奏活動を怠らない。
滋賀県が音楽活動の普及に対して、県の指導のもとで推進し各地で頻繁に間口の広い演奏活動を支援し成功を収めた如く新潟県においても同様に実現できないかと、協力体制を整え次のステップを考えているようである。 |
インタビュー協力:早稲田吹奏楽団 |
「巻タリアンニュース」は巻高校OB生をつなぐネットワーク新聞です。 情報をお寄せ下さい。 送付先:東京・蒲田郵便局私書箱62号(主宰)橋本寛二 メール:makitalian@yahoo.co.jp |
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