第7号
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活躍するOB昭和29年(1954年)卒 郷人組織・東京分水会会長 村上昭治さん 同窓会・同期会・OB会、出身母体で、集いは無限に誕生する。県人会は、現在の居住地域を優先させた、同一出身県人が組織し、 更に、出身町村が同じであれば、もっと身近な者同士での話が弾む。ここに、郷里を共にする人たちの集まり、「郷人会」が誕生した。首都圏には、新潟県の郷人会が100を超え、巻高OBの参加も多い。東京分水会は、同窓生、村上昭治さんが率いる郷人会である。 |
2003年は、地上デジタル放送が開始する。米国製から国産へと歩み出した1953年には、国上の科学好き少年は、進む道を決めていた。 海老沢NHK会長(中央)と 展覧会のテープカットする村上さん (写真左) |
村上さんのNHK入局1年目、1958年に開発された純国産のカラーTVカメラ1号機(写真左)。右は原型となった輸入機。やがて、小型軽量化へと開発が進み、音声技術と同時進行で、番組制作は、機動力のある「生中継」が要求され始めた。 渋谷のNHK放送センターで、毎年開催されている「番組技術展」、今年は、南極のTVカメラを、東京で遠隔操作する実演が行われた。放送番組の制作に携わっている、各局の技術者、関連メーカーは、独創的な機器・技術を、この展示会で同業者に評価してもらう。 |
郷人会「東京分水会」で活躍する巻高同窓生 | |
東京分水会の集いは、6月15日、御茶ノ水「ホテル聚楽」で開催された。村上会長をはじめ、巻高OBの顔が多数見られ、企画・運営に携わる。会員数245名は、地蔵堂,大河津、島上、四筒村、中島、笈砂及び国上の各会がそれぞれの組織を作って、郷人会として構成している。 2年後に予想される、分水町と寺泊そして弥彦との町村合併実現時には、かって、地蔵堂・国上・島上の合併で「分水町」が誕生した如く、半世紀ぶりに、新組織が誕生する。 |
「私の同期生を紹介しましょう」と集まってくれた昭和29年度卒業生。写真左より、登石・渋木・村上会長・棚橋・早川・田中の各氏(敬称略)。田中公一分水町商工会長(写真右端)は、地元から来賓参加し、杯を高々と上げ、乾杯の音頭をとり、一同懇親パーティに爆入した。 |
小林挌男(写真左)平出英夫の両氏(34年及び36年度卒)、会の運営に奔走している。 |
郷人会の名物は大抽選会。今年の特別賞品は、将棋名人の書であった。 |
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分水町の小林清町長(中央)は、ご当地ソング「分水しぐれ」を熱唱。「岩の苔道 国上の山よ 行けばしぐれる 五合庵」ふるさと賛歌を朗々と唄い、場内の熱い声援を受け、最高調を迎えた。 |
東京えちご巻町会※ | 東京中之島会 | 首都圏安田会 |
東京白根会 | 東京三条会 | 東京つきがた会 |
東京分水会※ | 赤塚郷人会 | 東京潟東会 |
首都圏えちご吉田会 | 東京新潟西川会※ | 首都圏わしま会 |
東京弥彦村人会※ | 東京中之口会※ | 東京出雲崎会 |
東京寺泊会※ | 東京味方会 | 東京岩室会(10月設立予定) |
郷人会・もう一つの楽しみ 文化講演会 | |
郷人会は、旧知の人達の懇親だけで終わる事無く、ふるさと交流と文化的な楽しみも要求される。 東京分水会は、毎年有意義で、印象深い講演会を企画しており、講演者も自然と熱を入れ真剣になる。同じ郷土人だけに、充分な検証に基づき、より精緻に伝えないと、聴き手として納得してくれない。 | |
OHPを使用し、近年発見された資料なども見せながらの歴史検証。 「繰り返し発生する洪水被害は、作物や物質の流損失のみならず、蒲原平野特有の凹地が起因し、マラリアなど伝染病の大発生を余儀なくし、これが、他県・南国での水害と根本的に異なり、越後の社会問題を生じ、10キロ先にある、寺泊海岸までの治水工事実現へとつながった」と大河津分水への道を講演。会場では、馴染みの地名が出る度に、先人のたどった開拓精神と、労を振り返り、深く感激するばかりであった。 通水から83年、寺泊の中央海岸は、かつての「海」が「浜」になり、スカシガニの住処を追いやってしまったが。 |
記念講演・講師 「大河津分水への道ーー先人の足跡を歩く」を史実解説した、信濃川大河津資料館館長 五百川(いおかわ)清氏 |
信濃川大河津資料館
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■信濃川大河津資料館:新潟県分水町5千石 |
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