天文コラム「星空のかなたに」
vol.2 天空の舞姫 オーロラ

 オーロラ(Aurora)は、ローマ神話では夜の星ぼしを追い払う暁(または曙)の女神アウロラであり、ギリシャ神話のエーオース(Eos)でもある。太陽の神ヘリオスを兄に、月の女神セレーネを姉に持つたいへん美しい女神である。
 バラ色の指を持つ彼女は、ラムポス(光)とパエトーン(輝き)という二頭の馬にひかれた馬車に乗って、太陽神ヘリオスの前を走り、天空の門を開くという。オーロラが東の空に現れると、夜の星ぼしは光を失い、空はバラ色に染まっていくのだ。
 夜空を彩る神秘的な光の舞に、この暁を告げる女神の名前"Aurora"を与えたのは、フランスの数学者であり天文学者でもあったガサンディが、1621年に南フランスに現れたオーロラを見た時であるとも伝えられている。しかも、この時のオーロラはイタリアでも見え、ガリレオもベニスで見たようだ。そしてこの頃から、オーロラの科学的な解明が始まったと言える。
 それ以前、ギリシャ時代にさかのぼれば、アリストテレスはオーロラを「天の洞穴」「天球の裂け目」から燃え出す火と考えていた。古代中国では、天に高く舞い狂う龍の姿にたとえている。オーロラの記録は、紀元前数世紀の昔から残っている。
 オーロラは一般的に極地に見られる現象であり、中・低緯度に住む古代の人々が目にする機会は少なく非常にめずらしかったにちがいない。しかも、中・低緯度で見られるオーロラは濃い暗赤色なので、ヨーロッパの人々はそれを見て血や戦争を連想した。彼らにとって、オーロラは災害の起こる凶兆であった。
 日本でも、日本書紀などの史記にしばしば「赤気(せっき)」、「紅気」などとして登場する。最近では、1958年2月11日と'89年10月21日に大型の「低緯度オーロラ」が観測されている。特に'58年(昭和33年)のものは、新潟でも肉眼で見え、北の空を真っ赤に染めた。
 一方、先祖代々極北の地に住み着いてきたエスキモーやラップの人たちにとっては、オーロラの神秘的な光は「死者の精霊(魂)」として目に映った。「オーロラが出ている時に口笛を吹いてはいけない。」などという言い伝えも現在まで広く残されているようだ。
 現代の科学によれば、オーロラは太陽活動と密接な関係があることがわかっている。極地の夜空に乱舞する華麗な光に、太陽神ヘリオスの美しい妹の名前を与えたのは、まことにふさわしいと感じる。
 今夜もまたその舞を披露し、見る人の心を惹きつけていることだろう。

写真=壮大な光のショー オーロラ
撮影:相川豊夫 氏(元新潟大学理学部教授)
(アラスカ/フェアバンクスにて '97年3月)
March 2003.


1980年3月卒 天文部OB(前新潟県立自然科学館天文学芸員)
巻高校教諭 中沢 陽

E-mail:nakazawa.yoh@nifty.ne.jp
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テーマ曲:星空のかなたに(Copyright:中沢 陽 1995/Piano:大澤俊秀)
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